読み下し
夏曰わく、賢を賢として色に易え、父母に事えて能く其の力を竭し、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交るに言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。
ひろみ現代語訳
子夏はいった。「賢者に対しては顔色を正し、父母に仕えるときは全力を尽くし、主君に対してはその身を捧げ、そして友人を欺くことのない人物ならば、たとえ周りが、あの人はまだ学問を得ていないと言ったとしても、私はあえてこういう人こそ、学問を修めた人物であると断言する。」
ひろみ解釈・まとめ
学問を修める。その本質を突いているのが今日の論語です。
*賢者に対しては顔色を正し、父母に仕えるときは全力を尽くし、主君に対してはその身を捧げ、そして友人を欺くことのない人物
これが学問を修めた人の姿。学問をいくらしたところで、この姿でないのなら意味がないのです。
*たとえ周りが、あの人はまだ学問を得ていないと言ったとしても、私はあえてこういう人こそ、学問を修めた人物であると断言する。
テストでいくらよい点を取ろうと、偏差値がどれだけ高かろうと、その学問で得た知識を実践の場で使えていないようならば、勉強した意味がありません。理屈ばかりで実践できないあなたを社会は必要としません。自ら思考、そして実践し、実践の評価が高い者を私たちは目指さなくてはならないのです。間違えても、ペーパーテストの上位を取ったからといって、自分は立派である、と勘違いしないでください。
**以下の文献・WEBを読み、私なりの「現代語訳」と「解釈・まとめ」を載せています。結構内容変わっているなあ〜、と自分ですでに思っています。学説的に間違っているかもしれませんが、以上が私の論語の学びからのアウトプットです。
参考文献・WEB
*【現代訳】論語 下村湖人 PHP研究所
*論語解説 http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-00-000.htm